ほのぼの家庭を つくりたかった 
   
     訪れて頂きまして、ありがとう御座います。
         お疲れ様です

      メニュー
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    1、親の義務
    2、子供は親を見て育つ
    3、親の苦しみ
    4、親の離婚と子供への影響
    5、テレビが与える影響
    6、親子心中
    7、私の体験
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1、親の義務
   子供が16歳に成るまでは、責任持って育てて欲しいものです。
  子供を殺す親が居ます、いろいろ事情はありましょうが
  やってはいけない事です。
   私自身、何度も自殺しようと思ったことはあります。
   子供は18歳にも成れば、自立できます。親は必要ありません
  しかし、この「親は必要無い」と言うこの事が後に響いてきます
  私の体験の中に書き添えております。
   幼児期の子供は、あなた無しでは生きていけません。
  あなただけが頼りなんです
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2、子供は親を見て育つ
   自分自身が不幸な育て方をされた場合、それが子供への八つ当たり
  として出て来る事があります。
  育った環境の習慣が、心の中に残っているのです。
  一概に皆がそうだという事ではありません。
  大人になれば、考え方が変わってきます。
  明るく生きようとすれば、そのように明るくなります。

   3歳くらいの女の子は、お母さんの料理のお手伝いもしてくれます。
  お母さんがお父さんのことを、愚痴ってばかりいると子供はお父さんのことを
  かわいそうだと思います。しかし、その光景は心に残ってます。

   自分の虫の居所が悪く、子供を叱る人が居られますが、子供にしてみれば
  何でそんなに怒らなければ成らないのか、訳がわかりません。
   「そんなことしては駄目よ」と注意するくらいで済む事を、ひっぱたく
  人も居ます。
   子供には、大人のビンタは死ぬかと思うくらい強烈です。
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3、親の苦しみ
   私の小さい頃の時代は、どうであったか述べてみたいと思います。
  50年以上もの前の事ですけど、戦後まもなくです。
   物が無い、金が無い、食べ物も無い、ないないずくしです。
  国は経済復興目指し、職場がどんどんできていました。
  今とは反対ですね。
   働いても、受け取る賃金が安く物不足だから物価が高い。
  自転車も買えない時代です。
   なにはなくとも、子供を育てていかなければならない。
  とにかく、「生きる」これしか頭に無かったようです。
  パチンコ店も無く、大人の遊びといったら魚釣りくらいでしょうか。

   電気の明かりは、電球の玉1個です。蛍光灯などありません。
  夜暗くなると就寝し、朝はニワトリの鳴き声で起きる。
  夜中に間違ってニワトリが鳴き、朝かと思って主婦の人は
  かまどでご飯を炊いた近所の家庭もありました。
  笑い話ですが事実です。

   私の体験を後に下へ述べますが、この時代親は子供に対して
  これくらいのことしかできなかった、精一杯だった。
  と、私は解釈しております。

   現代は、ニュース情報はすぐに目に入り耳にする事ができます。
  子供の生活風景も、豪華というかお金のかかる時代です。
  50年前と比べれば、これでは親は大変だ貯蓄などできない。
  主婦の方は、節約すれど楽にならずです。
  今50年前の生活の仕方をしたらどうでしょう、しかしそれは無理ですね。
  中には、田舎暮らしへ変更された方もおられますが、ちょっと
  この時代の考え方とは違う気がします。
  
  ■電気は部屋に1個の玉だけです。  ガス無し  水道無し  洗濯機無し
   冷蔵庫無し  テレビ無し  食事はマキで炊く  自転車無し歩き
   電話無し  コンビニ無し
  ■現代の田舎暮らしとは、訳が違う。

   もう一度言いますが、50年前はとにかく子供を育てる為に
  一生懸命働く、道楽はしないです。

 
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4、親の離婚と子供への影響
   ◎疲れましたね、一息いれますか。お茶でも飲んでください。
            ・ ・ ・ ・
             ・ ・ ・ ・
  それでは本文に入ります。
   私の体験から言いますと、あわれです。
  時代は違いますが、田舎でしたので町中に広まります。
  なぜか、友達ができません。
  お小遣いもありません、正月にボロボロの服でお小遣い無し。

   義務教育を経て、集団就職しました。
  就職した会社も長続きせず、転々と職場を変わります。
  成人前は就職する際、保護者が必要です。しかし親は成ってくれませんでした。
  保護者のいらない職場を捜し歩きます。
  この時、惨(みじ)めさを感じます。私は泣きました。
  ここが人生の分かれ道でしょうか、体が丈夫であったならヤクザの道へ
  入っていたでしょう。

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5、テレビが与える影響
   テレビは情報、流行を即座に伝えます。流行はいい事です。
  しかし、テレビを見て悪い真似をする人が出てきます。
  ドラマに列車殺人事件などあります、殺人の仕方手口を教えているものです。

  目でたい正月には毎年、長時間ドラマ時代劇が放送されます。
  普段でも放送はされていますが、長い刀で人切りです。痛くないのでしょうか。
  放送は自由ですが、見れば真似をしたくなる人も居ます。

   一件平和にみえる日本であるがゆえの出来事です。
  私は日本は平和な国ではないと思っています。
  戦争はやってはいないものの、真の警察官が不足しています。

   毎日、寅さんの映画を放送したらどうでしょう。
  あなたの答えはどうですか。


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6、親子心中
   この親子心中は、この家庭の事情を周りの人が気が付かないとか、
  苦しんでいる事を相談なかったとか、近所付き合いが薄れていた。
  等などの結果、助けてあげる事ができない状態です。
   自ら命を絶つと言う事は、相当の覚悟と勇気がないとできません。
  思い残すことなく、頭の中は真っ白でしょう。
  残念なことです。

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7、私の体験
    私が小学校6年生に入った時期に、親が離婚しております。
  私はこの時、結婚は絶対しないと心に決めました。

  それまでは、まずしくも平穏な家庭でした。
  私は病弱で病院通いばかりでした。
  楽しいと迄はいきません時代ですから。
    別れるとなると引越しです、本家の馬小屋の上に間借りする事になりました。
  私の下に2人の弟が居ました、一番下はまだ学校へ行かない年頃です。
   一番下の弟は毎日、「かあちゃん、かあちゃん」と泣いていました。
  私達は、父親の方へ引き取られたのです。
  2週間位一緒に住んでいたでしょうか、本家の婆さんが「うるさいから返せ!」
  と、弟は母親の方へ引き取られました。

    父親は会社務めで、夜勤もあり家に帰ってこない日がたびたびでした。
  食事を自分達でつくらなければなりません、私は小学6年生です。
  今の時代ではありません、お金もなく米だけしかありません。
  ご飯の炊き方も知りません、想像つきますか。

    こんな状態が何ヶ月か続いた頃、父親が後妻さんをもらうことになりました。
  「今日から、おまえ達の母ちゃんじゃ、母ちゃんと呼べ」父親が言いました。
  しかし、会話はありません。何にもしゃべらないままの日々です。

   2週間位経ったでしょうか、父親に呼ばれ「そこへ座れ!、なんで母ちゃんと
   呼ばんのか!」と、ビンタをもらいました。
   正座して座ってた私達兄弟は、すっ飛びました。
   むごいオヤジです。
    私達の年代に成っていては、簡単に「母ちゃん」とは呼べません。

    正月には、母が恋しくて畑の土手を人に見つからないように、
   駆けて行きました。泥だらけのズボンになって着いた母の家の中は
   畳はありませんでした。ゴザが敷いてあって正月という雰囲気では
   ありませんでした。

    数日後、オヤジに呼ばれて「おまえ達は、母ちゃんとこへ行ったな!」
   と、またビンタをもらいました。
   誰かが見てて知らせたのでしょう。

    翌年の正月にも、母親の所へ人目につかないように行きました。
   母親は、浜へ出かけて行きました。帰って来ると「肉を焼いてあげるから
   食べていきなさい」と焼肉を食べさせてくれました。鯨肉です。
   無理をしたものです、私には母親が最後の力を振り絞ったかのように
   みえました。

    数日後、またオヤジに呼ばれ、ビンタをもらっております。

     本家へ引っ越して1年目に、本家を追い出され引っ越すはめに 
   なりました。田舎町ですから、近所でもうわさが立つのでお婆が
   絶えれなくなったのでしょう。

     次に引っ越した先は、精米所の2階です。
   ここの家庭は、まだ若夫婦でなんとも都会的な感じがしました。
   お金持ちの家だったんですね。
    若奥さんが私に、「兄ちゃん配達を手伝ってくれないかね」と、三輪車で
   お米の配達を手伝ってあげました。

    しかしながら、ここも1年で出て行く事になりました。

    次に引っ越した先は、堤のほとりの小さな一軒やでした。
   川も近く、洗濯は川へ出かけました。
   自分達の着ているものは、自分で洗濯しておりました。
   後妻さんとは会話はありません。
   風呂を沸かすのに、山へ出かけマキ拾いをしました。

    中学3年の運動会が終わった頃、私は倒れました。
   病院へ連れて行かれ診断の結果、心臓弁膜症であることが
   わかりました。そのまま入院となりました。
   オヤジが会社から帰って、病院へ来てくれました。
   しかしオヤジの口から、「おまえが勝手に入院したんだから
   入院費は払わん」そう言って行ってしまいました。

    私は呆然となりました、・・・・死のう。
   こんな病弱では生きてはいけない、・・・生まれてこなければよかった。
   私はこの時、決めました。
   入院していたら費用の請求が来る、どうする・・・誰が払う。
   自分には払う能力が無い。・・・・どうやって死ぬ。
  
    私は消灯の、病院のベットの上で泣きました。
   考えがまとまらない内に、夜が明けてしまいました。

    夕方、母親が来ました。
   私のベットの横にしゃがみ込み、手を合わせ、神に祈っているようでした。

    私はオヤジが言った事を話しました。
   母はしばらく考えて、「母ちゃんが払ってやるから」と言ってくれました。
   私は安心して過ごせると思いました。

     入院してから10日後、請求書を私のところへ事務の方が持ってきました。
   金額を見て驚きました、3万円位だったと思います。
   当時、男性の日当は300円です。これは覚えています。
   女性の母がどうやって支払うことができるか、私は悩みました。
   母は、ブロック工場で男性に混じり働いていたそうです。
   借金をしたでしょう。とても10日おきに払える金額ではない。

    私は運を天に任せる感じでした。

    2ヶ月間の入院で、退院することにしました。
   退院後、学校へは行けず家に居ても心臓の鼓動が激しく、直るんだろうか
   と考え込み始めました。
   2ヶ月間自宅療養というかたちで、学校も3学期残すところ1ヶ月だけです。
   3学期は、ほとんど学校へは行けなかった事になります。

   学校の先生に、プリント用紙をもらいました。進学か就職か決める
   用紙です。
   オヤジに見せると、就職に印を付けて私へ渡しました。
 
   私はこのまま、社会人になれるだろうか。
   心臓は羽ばたいています。無理だろう。
   やっぱり・・・死のう。

    次の日から、毎日ヤスリを磨いでナイフを作りました。
   これで腹を刺して、死のう。
   りっぱなナイフができあがりました。
   いつ決行する、・・・・なかなか決まりません。

    そうこうしているうちに、心も落ち着きました。
     今晩・・・・やろう。

    私は夜、ナイフを持って国道へ出ました。
    これで腹を刺し、倒れれば車が引いてくれる。

     車の来るのを待ちました。

     しかし、なかなか車が来ません。
     私の決心が、だんだん固まってきて体が震えてきました。

    車が来た!、今やるんだ!
    刺せない・・・・・残った弟達はどうなる。
    今、刺さなければ車が通り過ぎる・・・・・刺せない。
     残った弟はどうなる。

     私は結局、自らの命を絶つ事ができずその場に泣き崩れました。
    近所の人が通りかかり、「なにしてんの、どうしたの」と声をかけて
    きました。
     38年もの前の出来事ですが、通りかかったその人は今
    健在なのか、健在であれば一度会ってみたい。

     私が自殺をしようと思って居た事を、誰も知らない。

   本音は、ほのぼの家庭をつくりたかった。

   どやぐらしより
ほのぼの家庭を つくりたい